「大和川周辺の歌碑」の版間の差分

提供:ManyoWiki
(ボットによる: 記事を自動取り込み *** 存在するテキストの上書き ***)
(ボットによる: 記事を自動取り込み *** 存在するテキストの上書き ***)
12行目: 12行目:
|{{Fontsize|large|夕さら{{Ruby|ば|ママ}} かは{{Ruby|ず|ママ}}鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも }}
|{{Fontsize|large|夕さら{{Ruby|ば|ママ}} かは{{Ruby|ず|ママ}}鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻10-2222
* 出典:万葉集 巻10-2222{{wikisource|万葉集/第十巻#10%2F2222|万葉集 巻10-2222}}
=== 碑の概要 ===
=== 碑の概要 ===
* 揮毫者:樋口 清之(歴史学者)
* 揮毫者:樋口 清之(歴史学者)
44行目: 44行目:
|{{Fontsize|large|三諸つく 三輪山見れば こもりくの 泊瀬の檜原 思ほゆるかも }}
|{{Fontsize|large|三諸つく 三輪山見れば こもりくの 泊瀬の檜原 思ほゆるかも }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻7-1095
* 出典:万葉集 巻7-1095{{wikisource|万葉集/第七巻#07%2F1095|万葉集 巻7-1095}}
* 揮毫者:活字体(楷書)
* 揮毫者:活字体(楷書)
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
50行目: 50行目:
|{{Fontsize|large|泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬を清けみと 見に来しわれを }}
|{{Fontsize|large|泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬を清けみと 見に来しわれを }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻7-1107
* 出典:万葉集 巻7-1107{{wikisource|万葉集/第七巻#07%2F1107|万葉集 巻7-1107}}
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center;"
|- style="text-align:center;"
|{{Fontsize|large|泊瀬川 ながるる水脈の 瀬を早み 井堤越す波の 音の清けく }}
|{{Fontsize|large|泊瀬川 ながるる水脈の 瀬を早み 井堤越す波の 音の清けく }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻7-1108
* 出典:万葉集 巻7-1108{{wikisource|万葉集/第七巻#07%2F1108|万葉集 巻7-1108}}
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center;"
|- style="text-align:center;"
|{{Fontsize|large|紫は 灰指すものそ 海石榴市の 八十の街に 逢へる児や誰 }}
|{{Fontsize|large|紫は 灰指すものそ 海石榴市の 八十の街に 逢へる児や誰 }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻12-3101
* 出典:万葉集 巻12-3101{{wikisource|万葉集/第十二巻#12%2F3101|万葉集 巻12-3101}}
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center;"
|- style="text-align:center;"
|{{Fontsize|large|たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか }}
|{{Fontsize|large|たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻12-3102
* 出典:万葉集 巻12-3102{{wikisource|万葉集/第十二巻#12%2F3102|万葉集 巻12-3102}}
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center;"
|- style="text-align:center;"
|{{Fontsize|large|泊瀬川 流る水沫の 絶えばこそ 我が思ふ心 遂げじと思はめ }}
|{{Fontsize|large|泊瀬川 流る水沫の 絶えばこそ 我が思ふ心 遂げじと思はめ }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻7-1382
* 出典:万葉集 巻7-1382{{wikisource|万葉集/第七巻#07%2F1382|万葉集 巻7-1382}}
=== 碑の概要 ===
=== 碑の概要 ===
* 瓢形に数枚の陶版を並べ焼付け ふり仮名・現代語訳付 最後の面には枕草子文記載
* 瓢形に数枚の陶版を並べ焼付け ふり仮名・現代語訳付 最後の面には枕草子文記載
98行目: 98行目:
|{{Fontsize|large|こもりくの 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走出の 宜し…… 荒れまく惜しも<br>[白文表記] }}
|{{Fontsize|large|こもりくの 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走出の 宜し…… 荒れまく惜しも<br>[白文表記] }}
|}
|}
* 出典:万葉集 巻13-3331
* 出典:万葉集 巻13-3331{{wikisource|万葉集/第十三巻#13%2F3331|万葉集 巻13-3331}}
=== 碑の概要 ===
=== 碑の概要 ===
* 揮毫者:有島 生馬(洋画家)
* 揮毫者:有島 生馬(洋画家)

2023年9月9日 (土) 18:35時点における版

w:の金屋には以下の歌碑がある。

所在地

馬井手橋の歌碑

歌碑番号:奈良―28

碑文

夕さらママ かはママ鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも
  • 出典:万葉集 巻10-2222

碑の概要

  • 揮毫者:樋口 清之(歴史学者)
  • 建碑:昭和47(1972)年11月5日
  • 自然石(95×65)枠取凹磨(63×29)
  • 初二句原歌と相違

碑の場所

  • 桜井市金屋175南側
  • 馬井手橋北詰の「佛教傳承之地」碑の左側
  • 椿市観音入口の歌碑より街中を南200m
地図を読み込み中...

ギャラリー

外部リンク

河川敷堤防

歌碑番号:奈良―関連M

碑文

三諸つく 三輪山見れば こもりくの 泊瀬の檜原 思ほゆるかも
  • 出典:万葉集 巻7-1095
  • 揮毫者:活字体(楷書)
泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬を清けみと 見に来しわれを
  • 出典:万葉集 巻7-1107
泊瀬川 ながるる水脈の 瀬を早み 井堤越す波の 音の清けく
  • 出典:万葉集 巻7-1108
紫は 灰指すものそ 海石榴市の 八十の街に 逢へる児や誰
  • 出典:万葉集 巻12-3101
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか
  • 出典:万葉集 巻12-3102
泊瀬川 流る水沫の 絶えばこそ 我が思ふ心 遂げじと思はめ
  • 出典:万葉集 巻7-1382

碑の概要

  • 瓢形に数枚の陶版を並べ焼付け ふり仮名・現代語訳付 最後の面には枕草子文記載
  • 陶版6枚(75×127)陶版10枚(102×212)陶版18枚(143×280)陶版3枚(66×136)
  • 記載は上流側より

碑の場所

  • 桜井市金屋175 馬井出橋上流側の初瀬川右岸河川敷堤防
  • 金屋河川敷公園(海柘榴市歴史公園)のところだと思われるが未確認
地図を読み込み中...
  • これは金屋河川敷公園の場所で歌碑の詳細位置不明

ギャラリー

大向寺橋の歌碑

歌碑番号:奈良―29

碑文

こもりくの 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走出の 宜し…… 荒れまく惜しも
[白文表記]
  • 出典:万葉集 巻13-3331

碑の概要

  • 揮毫者:有島 生馬(洋画家)
  • 建碑:昭和47(1972)年11月5日
  • 自然石(60×80)枠取凹磨(30×44)碑面には「十月亭書」と署刻

碑の場所

  • 桜井市金屋102の北 大向寺橋北詰
  • 前々碑より堤に沿い西へ一つ下流の橋
地図を読み込み中...

ギャラリー

外部リンク

脚注

参考文献

  • 田村泰秀、富田敏子 編『萬葉二千三百碑』万葉の大和路を歩く会、2018年、7, 8頁。